戸籍と夫婦別姓はバッティングするのか...
戸籍とは、日本人が出生してから死亡するまでの身分関係(出生、婚姻、死亡、親族関係など)を登録し、公に証明するための公簿です。
現在の戸籍は一組の夫婦と姓を同じくする未婚の子を単位につくられています。
「現在」とありますが、かつては個人が中心ではなく「家」が中心でした。
「家」中心となると、夫婦別姓の問題も絡み、安倍前政権や菅政権を支えていた日本会議の存在が頭をよぎりますね。
戸籍とは日本人であることを証明するもの、日本人のアイデンティティだと主張している人たちもいます。
本籍と出生地は違うことがあります。
たとえば、生まれた場所が病院であれば、その病院の所在地の最小行政区までが「出生地」として記載されます。
この「出生地」が、差別の温床になることがあります。部落差別が、生まれた場所に対する差別となり、その意味で、戸籍は「差別の温床」とする意見もあります。
結婚したらご主人の本籍に変更することから「籍を入れる」なんて言葉も生まれましたし、「バツイチ」というのは、奥さんの本籍を外すことで、謄本には奥さんの名前の上に大きくばつ印が記されていることから生まれた言葉です。
女性が男性の本籍地に入るというのも家制度から来ているものであり、実家のお墓には入れないという慣習も家制度によるもので、これらを考えても、果たして戸籍というものは必要なのかどうかは考えさせられます。
昭和23年に新しい戸籍法が施行され、戦前の「家」を基本単位としていた家制度は廃止され、夫婦とその子供(2世代)が基本単位とされることになりました。
「家」から「個人」へ...
この流れがマイナンバー制度なのでしょうが、未だに戸籍というものが存在することで、話がややこしくなっているような気がします。
電子化が進まない理由として、戸籍の存在があるという指摘もあります。
戸籍に住所と名前を記載してもらうことで、日本人であることが証明されるのですが、かつては、この戸籍が盗用されたりしたことがあり、実は、それは今でも外国からのスパイは、日本の戸籍を盗むことで、日本人としての証明を手に入れることができるというのです。
日本にいるスパイと呼ばれる人たちは、日本戸籍を手にしています。
戸籍制度があるから、スパイを炙り出せると、戸籍維持派は主張していますね。
戸籍乗っ取りを、警察用語(隠語)では「背乗り(はいのり)」と言うそうです。
この戸籍に名前を登録するのは「漢字」を登録します。呼び名ではありません。
この漢字をどう読まれようと、戸籍の世界では全く関係ありません。
「太郎」と漢字を登録して「はなこ」と読ませても、全く問題ないのです。
これはデジタル化にとって、大きな障害となっています。
日常での呼び方と違う感じが登録されるということは、海外では絶対にありえないことで「たろう」は「TARO」で統一です。
また漢字がデジタル化を阻んでいる例として「サイトウ」があります。呼び名は「saitou」でも、漢字表記は
斎藤
斉藤
齋藤
齊藤
西東
とまあ、こんなにあります。「コウ」という字も「高」「髙」があり、「タカハシ」にも「髙橋」「高橋」「高梁」があります。
これらすべてが、デジタル化するにはまあ大変な障害となっているのです。
夫婦で名字が違うと戸籍はどうするのか、戸籍がその人を特定するものであるとするなら、戸籍がある以上、夫婦別姓は日本社会になじませるのは難しいのでしょうか。
ただ自民党を支えているコアな支持者が日本会議であり、神社本庁の支援を受けているのであれば、かれらが「家」を尊重して夫婦別姓を否定しているのであれば、選挙を考えると、今の政権では夫婦別姓議論は前には進めないでしょうね。
選挙間近なときに、声高に夫婦別姓を否定している姿勢は、まさに選挙を意識してるとしか思えないのですがね...